長崎〜軍艦島

歴史

■□■□■□■□■□■□
目的地まで迷わず行ける
旅行に必須のケータイアプリ
Enter
■□■□■□■□■□■□

最初に「端島」の名称が登場するのが、正保国絵図に「はしの島」という名称で登場しています。
1810年頃何も無かった端島に炭鉱が発見されました。
明治に入り1870年天草の小山秀氏が、端島の開抗に着手。
1887年に第1竪坑開削が開始。まだ雇人日給は25〜50銭だったそうです。
その後1890年に三菱が買収。蒸留水機設置や小学校の建設が行われました。
1916年には日本で最初の高層アパート30号棟が建設。
1921年、軍艦「土佐」に似ているところから長崎日々新聞が「軍艦島」として紹介しその名称が浸透しました。
1941年には年間出炭最高記録41100tを達成。
1949年に松竹映画「緑なき島」で端島が紹介されました。
1960年島内人口が5,267人を記録。最高人口密度が東京都の9倍でした。
1964年には下部区域水没放棄、一年間の炭鉱休止で島内人口が減少。
1974年1月に閉山、同年4月には無人島となりました。

長崎〜軍艦島TOP

CopyRight(C)長崎〜軍艦島
inserted by FC2 system